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カルチャーラジオ 芸術その魅力「『バウハウス』と20世紀デザイン」<全12回>

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」1<全12回>

~創設100周年を記念して【バウハウスと産業革命】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
2019年は世界初の造形学校「バウハウス」が設立されてちょうど100年です。日本の琳派を源泉とした非対称美学と、ドイツのバウハウス誕生には深い関わりがありました。20世紀デザインの原点は琳派の美学と西欧のシンメトリーと黄金比の美学を統合した造形原理が、バウハウスに昇華していったといってもよいでしょう。今回はバウハウス誕生の時代背景含めてお話しします。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(2)

~創設100周年を記念して【バウハウス誕生とモリスのアーツ&クラフツ運動】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
産業革命により大量生産が可能になった19世紀後半、機械生産に反旗を掲げた、イギリス人デザイナーウィリアム・モリスによって「アーツ&クラフツ運動」が起こりました。手作りの大切さ、必要性を訴えたモリスは今日「デザインの父」と呼ばれています。今回はバウハウス誕生前のヨーロッパ、特にドイツにおける工業生産の現場で起きた、デザインに対する考え方、論争についてご紹介します。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(3)

~創設100周年を記念して【バウハウスの創設から閉鎖まで】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
20世紀美術運動や近代工業化社会の到来という社会背景をうけて、1919年に創設されたバウハウス。学生は14歳から40歳までと幅広く、また国籍もさまざまで日本からも3人が留学していました。今回はバウハウス創設から閉鎖までの歴史を振り返ります。

  

「『バウハウス』と20世紀デザイン」(4)

~創設100周年を記念して【非対称美学の衝撃】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
非対称は琳派の美の心髄であり、日本人が最も基本とする美学のテーマです。まず琳派では表現の主体となるモチーフの位置は、西洋と異なり画面の中央や中心に置くのではなく両サイドの片寄った非対称の位置に置く構図が常道となっています。これに対して西洋の美術ではギリシャ時代以来、モチーフを左右対称の中央に置くシンメトリー構図が中心でした。今回は非対称の美について多角的に探っていきます。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(5)

【斜線の美学と余白、デフォルメの陶酔】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
モチーフを非対称の位置に置くと、反対側に余白の空間が生じます。琳派ではこの余白が表現上の特徴となり、さまざまな表現効果を生み出してきました。見る人にさまざまな思いや期待を促す余白が生み出す、この効果を「余白の美」と呼びました。また琳派の表現にはデフォルメがあります。それまで写実主義だった西洋の画家たちは、日本美術に衝撃を受けました。今回は琳派の特徴である、斜線の美学と余白についてご紹介します。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(6)

【浮世絵とジャポニスム】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
琳派の美術表現において西洋にもっとも深い影響を与えた作品は、宗達や光琳の高価な屏風(びょうぶ)絵や庶民たちにも親しまれた安価な扇絵ばかりではありません。19世紀中頃、日本に開国を求め欧米の使節がたびたび来訪するようになると、新しい庶民のメディアとして登場した浮世絵が彼らの目に留まりました。今回はジャポニスムブームのきっかけとなった浮世絵についてお話します。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(7)

【バウハウスの予備課程と教授陣】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
「バウハウス」は1919年に創設されてから閉鎖まで僅か14年という短い歴史でしたが、その後のデザイン思想や美術教育ばかりではなく、プロダクトデザインなど生活芸術を統合したデザイン教育に多大な影響を及ぼしました。今回はバウハウスの予備課程でどのようなカリキュラムが組まれていたのか、また指導にあたった教授陣についてお伝えします。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(8)

【「構成」からデザイン教育へ】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
バウハウス創設から今年で100年。巣立った学生の中には20世紀をリードする建築家やグラフィックデザイナーばかりではなく、デザインの研究者や教育者、評論家たちも誕生しました。今回はバウハウスのカリキュラムが戦後どのようにアメリカに引き継がれ、その後のデザイン教育にいかに発展していったのかを考察していきます。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(9)

【日本のデザイン教育の確立】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
バウハウスでの教育の新しい面は、それまでの極めて限られた学生を対象にした英才教育ではなく、誰もが持っている造形感覚を目覚めさせ美術への関心を高める基本姿勢を貫いたことでした。バウハウスのデザイン教育の成果が、日本の美術や造形の教育界にどのような影響を与えたのかをみていきます。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(10)

【ドイツからアメリカの汎デザイン社会へ】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
バウハウスはナチスの弾圧により1933年、14年の歴史を閉じました。その後、主(おも)だった教授陣は次々とアメリカに亡命し新天地で活動を始めます。バウハウスでの輝かしい業績はアメリカの地で引き継がれ「ニューバウハウス」として再出発することになります。戦争に翻弄された当時を振り返ります。

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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(11)

【視覚メディアからマルチメディア社会へ】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
バウハウスの最も偉大な社会的貢献はそれまでの書物や新聞に変わり、デザインという概念を分かりやすい物の形、造形の美しさを通して人々にデザインを根付(づ)かせたことです。1960年代からアメリカではテレビが各家庭に普及し、その後のIT革命は一方通行だったTVを双方向へと進化させました。その変遷を考察します。


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「『バウハウス』と20世紀デザイン」(12)[終]

【クールジャパンと文化芸術立国日本】 筑波大学名誉教授・玉川大学名誉教授…三井秀樹
バウハウスの造形教育は戦後、日本の小中学校の図画工作を統一し図工として発展しました。また日本の大学や専門学校でもバウハウスの造形理念に深く関わり、カリキュラムに取り入れてきました。そして現在、日本のアニメやマンガ、ゲームなどの大衆文化は海外から「かわいい」「かっこいい」と言われています。バウハウスの教育成果が現代の日本にどのような文化を生み出しているのかお話します。

私の日本語辞典「盆山から盆栽へ~言葉でたどる“盆栽”の歴史」(1-4)

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番組表検索結果 | NHKクロニクル

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2019年1月の放送予定

盆山から盆栽へ~言葉でたどる「盆栽」の歴史

講師:依田 徹(遠山記念館学芸部長)
盆栽は、古く「盆山(ぼんさん)」と呼ばれていたといいます。平安時代には「鉢植えの木」として親しまれていたようで、ほかにも「鉢の木」「作り松」など、「盆栽」を示す用語(言葉)は定着していませんでした。江戸時代の記録には「盆栽」という表記はでてきますが、そこに「ハチウエ」とカナがふってありました。
依田徹さんは、東京芸大大学院美術研究科を卒業、茶道史や日本近代美術史の研究を続ける中で、このほど盆栽の歴史を『盆栽の誕生』という著書にまとめました。平安時代から近世までの盆栽文化の発展過程について、時代ごとの呼称や表現をキーワードと共に詳しく述べています。
番組では、日本の伝統文化のひとつである『盆栽』の歴史を「言葉」をてがかりに、話してもらいます。

放送は4回シリーズ。
聞き手:NHK放送研修センター日本語センター 秋山和平アナウンサー
<内容>
1回   依田さんが「盆栽」の歴史について研究をはじめたきっかけと、平安時代以降の文献などに見える盆山(ぼんさん)、鉢の木などについて
2回   江戸時代に盛んになる盆栽について、またこの時代に特にはやった人工的な曲物作りについて
3回   江戸末期以降の「盆栽誕生」について
4回   明治以降の政財界や皇室と盆栽のかかわりについて





















出演者プロフィール





















依田 徹(よだ・とおる)

依田 徹(よだ・とおる)

1977年、山梨県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科学術学専攻、博士後期課程修了。美術博士。専門は、日本近代美術史、茶道史。

<主な著書>『近代の美術と茶の湯』『十三松堂茶会記』『盆栽の誕生』など多数。

一か月















「盆山から盆栽へ~言葉でたどる“盆栽”の歴史」(4)

遠山記念館学芸部長…依田徹,【アナウンサー】秋山和平
明治に入ってから、盆栽は政財界の要人や皇室に広まります。明治天皇は病気の重臣を見舞うとき、盆栽を持っていったことが記録に残っています。また皇室に献上される盆栽も多く、明治時代に立てられた宮殿には盆栽が飾られていました。最後に、盆栽とは何か、改めて依田さんの考え、「盆栽とは木との対話である」が示されます。
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「盆山から盆栽へ~言葉でたどる“盆栽”の歴史」(3)

遠山記念館学芸部長…依田徹,【アナウンサー】秋山和平
江戸時代末期になると、盆栽の流行はそれまでの人工的な作り物から、木の自然さを生かすものに変わっていきます。その原因は、当時の中国趣味にあったと見られています。「自然」ということばは、もともと仏教の「自然(じねん)」という考え方からきていますが、「ネイチャー」という外国語を翻訳するとき、「自然」をそれにあてました。明治以降の盆栽では、「自然」がキーワードとなります。
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「盆山から盆栽へ~言葉でたどる“盆栽”の歴史」(2)

遠山記念館学芸部長…依田徹,【アナウンサー】秋山和平
「盆栽」が「誕生」したのは、江戸時代に入ってからです。徳川家代々の将軍に、諸国の大名が盆栽を献上することが増えました。三代将軍家光は盆栽を好んだことで知られますが大久保彦左衛門が家光をいさめるため盆栽を壊した話が残っています。江戸時代の盆栽は器に有田焼を用い当時完成した染付がついたものが好まれました。また人工的に作られた「つくり」が多く作られました。中心の幹をS字に曲げた松などが流行したようです。
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2019年01月05日(土) 午後03:10~午後03:40
「盆山から盆栽へ~言葉でたどる“盆栽”の歴史」(1)
盆栽とはなんなのでしょうか?鉢に植え育てながら、その形に手を加え、年月をかけて一つの景色を生み出していきます。「木と対話しながら」形づくっていくものです。盆栽という言葉自体が定着したのは明治時代に入ってからでした。それ以前は鉢の木(鉢木;はちのき)、盆山(ぼんさん)でした。今回は「盆栽」の歴史を、平安時代の文献などを見ながら中世までたどります。