カルチャーラジオ 歴史再発見 「縄文時代研究の最先端を探る」

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「縄文時代研究の最先端を探る」(12)

【最新の縄文時代展示~歴博第1展示室リニューアルの裏側~その2】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第12回は「最新の縄文時代展示 歴博第一展示室リニューアルの裏側2」。縄文人は定住生活を営むようになると周囲にクリの木を植え大豆やアズキを栽培するなど食料の生産、加工・貯蔵などを計画的に行うようになります。また、生活に必要な木工・編み組、建築技術なども高度だったといわれています。今回は歴博第一展示室「縄文人の生業(なりわい)カレンダー」などから縄文人がどのような生活を営んでいたのかをみていきます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(11)

【最新の縄文時代展示~歴博第1展示室リニューアルの裏側~その1】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第11回 「最新の縄文時代展示 歴博第一展示室リニューアルの裏側1」。「歴博」の愛称で親しまれている千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」の縄文文化を展示する第一展示室がリニューアルしました。従来の時間的・空間的枠組みにとらわれることなく「多様な縄文列島」をテーマに東アジアの中から縄文文化を捉えるダイナミックな構成となっています。3回にわたり展示を通して、縄文文化の時代への理解を深めていきます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(10)

【縄文時代の死生観 その2】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第10回「縄文時代の死生観2」。縄文時代の墓地は家族単位で群在する傾向があり、順次埋葬することで系譜的意識が生成されました。環境の悪化で中期末から後期初頭にかけ中期の集落が解体しますが後期前葉になると温暖化により血縁関係だけでない大集落が形成されたことが墓地の人骨のDNAの分析などから判明しています。今回は縄文時代における二つの死生観「再生・循環の死生観」と「系譜的死生観」についてお話し頂きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(9)

【縄文時代の死生観 その1】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第9回「縄文時代の死生観1」「死」の認識とは、あの世とこの世の区別「他界観」の成立と密接な関係を持ちます。死者を「あの世」へ送る手段として埋葬する、墓をつくるという「葬墓制(そうぼせい)」の発達が「他界観」の成立時期を調べる鍵となります。今回は縄文時代の墓・埋葬例を検討することにより当時の人たちが「死」に対しどのような対応を行ったのか、そこからうかがうことができる「死生観」についてお話し頂きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(8)

【縄文時代の社会~東の社会、西の社会~その2】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第8回「縄文時代の社会 東の社会、西の社会2」縄文時代、東日本と西日本では、文化のあり方が全く違っていました。西日本では1集落に住居が2~3程度で人口は10人を上回ることがない小規模集落で構成され、土偶や石棒など第2の道具もあまり発見されていません。絶対人口数の少なかったことが必要以上の社会複雑化の進展を促さなかった要因と考えられます。今回は西日本における縄文文化の特徴についてお話し頂きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(7)

【縄文時代の社会~東の社会、西の社会~その1】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第7回「縄文時代の社会 東の社会、西の社会1」縄文文化は、多様な地域文化の集合体です。東西差が大きく、東日本では定住性が強くなり人口が増え複雑な社会が形成されていきます。今回は縄文時代後半期を中心に遺跡と出土した土偶などから見えてくる、集団での営み、交易品の生産、クリ、マメなどの有用植物の育成、一部では階層化した社会があったのではないかなど東日本における縄文社会の特徴についてお話しいただきます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(6)

【縄文時代の精神文化~何を想い、何を願ったのか~その2】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第6回「縄文時代の精神文化 何を想い何を願ったのか2」縄文時代は埋設した土器の中に再生・復活を願うものを入れ埋設、あるいは再生を願うものを収納する「土器埋設祭祀(し)」が存在したと考えられています。女性の身体に見立てた土器には母体に子供を戻し、もう一度生まれてくるようにとの再生観念・循環の思想が伺われます。今回は土器の収納物から縄文人の根本的な思想「生と死と再生・豊じょう」についてお話し頂きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(5)

【縄文時代の精神文化~何を想い、何を願ったのか~その1】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第5回「縄文時代の精神文化 何を想い、何を願ったのか1」縄文人は知性・心性において私たちと遜色なかったと考えられています。精神文化の発達を促したのが移動生活から定住生活への居住形態の変化です。定住生活になると、ゴミの処理、食料の管理、自然災害からの回避などさまざまな問題に対処していく必要が生じ、そこに社会的なルール作りが行われ祭祀や呪術の発達が誘発されたのです。出土した土偶と石棒から読み解きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(4)

【「縄文時代・文化」の境界を探る~その空間~】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第4回「『縄文時代・文化』の境界を探る ~その空間」。日本列島への移住ルートとして考えられるのは北回りルート(沿海州・サハリン→北海道)、西回りルート(朝鮮半島→北部九州)、南回りルート(南島→九州)の3ルートです。今回はルートごとに、出土した土器や石器など道具の特徴・分布を考察することで、縄文文化の範囲を探っていき縄文文化が日本列島域内におさまっている独自性の強い文化であることをお話し頂きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(3)

【「縄文時代・文化」の境界を探る~その時間~】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第3回「『縄文時代・文化』の境界を探る~その時間」。最新研究により先史・古代日本における旧石器時代→縄文時代→弥生時代の時代区分が見直されてきています。約1万5千年前から温暖化が始まり自然環境の変化に対応する形で土器が発明されたと説明されてきましたが温暖化以前の1万6500年前の最古の土器が青森県太平元遺跡から出土し縄文時代の始まりの意見が分かれました。今回は縄文時代の起源についてお話し頂きます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(2)

【「縄文時代・文化」とはなにか?その2】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
第2回は「縄文時代・文化」とはなにか? その2です。縄文時代は2500年程度の期間とされてきましたが科学的な検証などにより次第に伸び現在は1万3000年間続いたと考えられています。縄文時代という時間的枠組みを設定するならば、その中には数多くの文化が存在し日本列島域全域で後氷期に適応した文化としてとらえられます。今回は最先端の研究により再構築された縄文時代の枠組みと縄文文化の実態をみていきます。


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「縄文時代研究の最先端を探る」(1)<全13回>

【「縄文時代・文化」とはなにか?その1】 国立歴史民俗博物館教授…山田康弘
「縄文時代研究の最先端を探る」第1回 は「縄文時代・文化とはなにか?」その1。現在、最先端の研究により縄文時代とその文化が大きく見直されてきています。例えば縄文時代の始まりは当初考えられていた時期より、さらに数千年遡ることがわかってきました。今回は、私たちが教科書などで習ってきた縄文時代の概念とその枠組みを検証すると共に、最新の研究でわかってきた事例から新しい縄文時代像についてお話しいただきます。


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